国分寺市内で活躍する人にスポットを当てて紹介するコーナー

コクブン人 第1回 国分寺市長 井澤邦夫様

国分寺生まれ・国分寺育ち・保険会社などの勤務を経験し、平成17年より国分寺市議会議員・国分寺市議会議長を経て、平成25年に国分寺市長に就任。

プロフィールは以下のとおりです。

氏名:井澤 邦夫(イザワ クニオ)

生年月日:昭和25年9月15日

出身地:国分寺市東恋ケ窪

学歴:国分寺市立第三小学校卒業・国分寺市立第一中学校卒業・中央大学附属高等学校卒業・中央大学法学部法律学科卒業

主な職歴:東邦生命保険相互会社・エジソン生命保険相互会社など

家族構成:妻・長女・長男 ※子どもは独立して妻と二人暮らし

好きなスポーツ:テニス

独自に入手した情報:三小の少年野球チーム「キングス」で以前はコーチを努めていた。

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さて、前置きはこのへんにしてインタビューを始めます!

【ぶんじch編集部】井澤市長、本日はお忙しいなかお時間をとっていただき、ありがとうございます。

【井澤市長】こちらこそ、よろしくお願いいたします。なんでも答えますので、どんどん質問してください!

【ぶんじch編集部】それでは遠慮なく、聞かせていただきます!早速ですが、ひとつ目の質問です。好きなスポーツはテニスと伺いましたが、きっかけはどんなことでしたか?

【井澤市長】そういう感じの質問からなんですね!

【ぶんじch編集部】はい。まずは人となりの部分から入りたいと思いまして(汗)

【井澤市長】わかりました!それは当時の社会情勢が関わってくるのですが、バブルがはじけて景気が良くなかった時代で、当時勤めていた保険会社の資金運用を担当していた関係で、日本経済の先行きが不透明で不安を抱えながら仕事をしていました。付き合いでゴルフも少し試したのですが、私にはあまり向いていなかったようでスコアも。。。(笑)  そんなときにテニスと出会って、熱中しましたよ!もちろんちゃんと仕事はしたうえですけどね。テニスをしているときは、仕事の悩みも忘れられたんです。残業が日常茶飯事な時代でしたが、テニスをするときは仕事を定時に上がれるようにいろいろ調整したりしましたね。35歳くらいのときだったと記憶しています。

【ぶんじch編集部】なるほど。私もそういう経験があるので気持ちはとてもわかりますよ!では、いまでも定期的にテニスはされているんですか?

【井澤市長】それが市長になってからはなかなか時間が取れなくて。。。

【ぶんじch編集部】次の質問は休日の過ごし方なんですが、いまのお話を聞く限り、そもそもお休みはありますか?

【井澤市長】丸一日のお休みはなかなか取れないですね。休みが取れたらテニスをしたいですね!週末は市内で様々なイベントなどがありますしね。そういうところに足を運んで市民の皆さまとふれ合う機会が大切だと考えています。

【ぶんじch編集部】学生時代のお話もお聞かせいただけますか?

【井澤市長】学生時代は法曹の世界に進みたいと考えていました。その方向で勉強していたわけですけど、当時は学生運動が盛んで、これからどのように社会が進んでいくのか、混沌とした時代でしたね。

【ぶんじch編集部】いまの市長のお仕事も仕組みを作っていくわけですので、学生時代の経験が活かされているわけですね。少し横道に逸れますが、どんな遊び方やアルバイトをしていたのですか?

【井澤市長】遊びといったら、喫茶店に行ったり、当時の普通の学生と変わりませんでしたね。バイトはやりましたよ。日雇いの仕事もやりましたけど、家庭教師もやりました。いい経験でしたね。教える側になって、教わることも多かったです。

【ぶんじch編集部】ここだけの話、行きつけのお店はあったりしますか?

【井澤市長】市内の店はくまなくチェックしていますよ!ぶんじバルが今度開催されるので、楽しみにしています!※このインタビューは8月22日にしています。ぶんじバル開催期間は8月26日〜9月1日でした。

【ぶんじch編集部】そろそろ市長のお仕事の話に移ります。市長就任から二期目に入って、いまはその二年目です。一期目からこれまでの成果について、井澤市長のお考えをお聞かせください。

【井澤市長】とにかくいろいろとやらせていただきました。市議会議員・市議会議長の時代に見てきた国分寺市の問題を解決するために、すべての事業をまずはゼロベースで考え直そう。その事業は本当に必要なのか?もっとこのようにすれば、より効果が出るのではないか?職員と一丸となって取り組んできました。やれない理由を考えるのではなく、「やれる理由を探そう」。この考えのもとに行政運営を進めてまいりました。その取り組みの成果として「財政の健全化」が挙げられます。これができたことが大きいと思っています。だからこそ、新たな施策を打ち出せるようになりました。都市農業の活性化に繋げる「こくベジ」や元プロ野球選手の木田優夫さん・RAG FAIRの土屋礼央さんの「観光大使就任」もその一環です。まだ詳しくは言えませんが、観光大使に新たな方を加えられるように働きかけたりもしています。※9月1日付けでピアニストの福間洸太朗さんが就任。インタビュー時はまだ秘密でした。あとは、ペンシルロケットも全面に押し出してきました。市制施行50周年と絡めて認知度は上がったと思っています。今後も先進技術発祥の地としてのシティーセールスを続けていきますよ。史跡の整備も進めて観光に活かしていきたいですし、市庁舎の建設にも取り組みます。挙げていったらキリがないですが、それには「財政の健全化」が不可欠でありました。また、ゴミ処理場の問題について、日野市・国分寺市・小金井市の3市共同で実施する道筋ができたことも非常に大きいと考えています。ただ、課題が残っていることも確かです。「待機児童」のことなどは取り組んではいますが、なかなか解決とはなりません。継続して取り組んでいきたいと考えています。

【ぶんじch編集部】国分寺駅北口の再開発がほぼ完了して、今後どのような発展を想定されていますか?

【井澤市長】国分寺市成長の起爆剤ができたと考えています。再開発自体はまだ完了はしていませんが、流入人口が増えました。これを今後定住化に結びつけていけたらと考えています。人口が増えれば税収自体は増えますが、その分歳出も増えます。長期的な視点に立って市政運営を進めていくことが未来の地域のためには必要なことだと考えています。国分寺駅の北口だけではなく全市的な活性化に繋げるためには、商業の発展は欠かせません。賑わいをつくって好循環を生み出せるよう取り組んでまいります。国分寺駅北口が一段落したら、西国分寺駅周辺・国立駅北口周辺・恋ヶ窪駅周辺に焦点を合わせていきたいと考えています。

話は少し戻りますが、私が市長に就任する段階で国分寺市の残された三大課題がありました。それは①国分寺駅北口再開発 ②可燃ごみの共同処理場 ③市庁舎の3つでした。①②は道筋が立ちましたので、次は市庁舎について進めていきたいと考えています。市庁舎については、災害時に市民の命を守る設備を整えて、拠点となることが求められます。どうにか前に進めていきたいと考えています。

【ぶんじch編集部】井澤市長が考える国分寺市の魅力はどんなものですか?その魅力をどのように発信していく構想をお持ちでしょうか?

【井澤市長】生まれ、育った人間として感じていることは「落ちついたまち・ひとにやさしい人が住むまち」だなと、いつも感じています。それは長い歴史のなかで育まれたものだと感じています。さきほどもお話ししましたが、武蔵国分寺跡の史跡整備などの歴史遺産の発信や、ペンシルロケットなどの先進技術発祥の地であることの発信を続けていきますし、ひかりプラザにある「ひかり号」の修繕をクラウドファンディングで募集したりなどを検討しています。また国分寺駅開設130周年を控えていますので、いろいろ仕掛けを考えているところです。ぜひ、楽しみにしてください!

【ぶんじch編集部】これからもワクワクする、仕掛けが目白押しですね!

【井澤市長】やれることは何でもやらせてもらいます!!

【ぶんじch編集部】最後にわれわれぶんじchに期待することを!

【井澤市長】市の広報(市報・HP・広報番組ぶんぶんチャンネルなど)を活用して様々な発信をしていますが、ぶんじchが、若い世代の方に情報を届ける役目を担ってもらって、有機的な繋がりを作る存在になってもらいたいと考えています。市は本当にいろいろな取り組みを行っています。われわれが日常的に提供している行政サービスももっと発信してもらえればありがたいですね。

【ぶんじch編集部】励みになります!本日はお忙しいなか本当にありがとうございました!!

編集後記:

井澤市長は気さくな方で、事前にお知らせしていない質問にも喜んで答えてくれました!

さすがに行きつけのお店は聞き出せませんでしたが(笑)

市政のことになると熱っぽく語られて、予定された時間を過ぎても、まだまだ話足りないようでした。まさに「コクブン人」!!

第一弾「コクブン人」にこれ以上の方はいないと自画自賛をしている編集部です〜